☆・中谷 宇吉郎・1900年・ - 1962年・日本の物理学者、随筆家。位階は正三位。 勲等は勲一等。学位は理学博士(京都帝国大学・1931年)。 北海道大学理学部教授を北海道帝国大学時代から務め、世界で初となる 人工雪の製作に成功した。☆・生い立ち石川県江沼郡片山津町(現・加賀市)出身。学齢期になると母方の親族に預けられ、大聖寺町(現・加賀市)に転居。 大聖寺町立錦城尋常高等小学校卒業後、旧制小松中学(現・石川県立小松高等学校)で寄宿舎生活を行い卒業、 1922年、第四高等学校を卒業し東京帝国大学理学部物理学科に入学。 寺田寅彦に教えを受け、実験物理学を志す。卒業後は理化学研究所で寺田研究室の助手となった。1927年、藤岡作太郎の長女の綾と結婚。その後、 1928年、イギリスに留学し、キングス・カレッジ・ロンドンにて学んだ。同年には日本に残してきた妻をジフテリアで亡くしている留学後、1930年に北海道帝国大学理学部助教授なる。1931年に京都帝国大学にて理学博士号を受ける。その題は「On the emission of soft X-rays by different elements, with reference to the effect of adsorbed gas(各種元素による長波長X線の發生に就て 特に吸着氣体の影響につき)」。教授となった1932年頃から雪の結晶の研究を始め、1936年3月12日には大学の低温実験室にて人工雪の製作に世界で初めて成功。気象条件と結晶が形成される過程の関係を解明した。他にも凍上や着氷防止の研究など、低温科学に大きな業績を残した。 また前年には再婚している。1938年、肝臓ジストマと診断され武見太郎指示の元、療養する。12月26日、『北海道帝国大学理学部紀要』Ⅱ、2巻1号に、雪の人工結晶について発表。1939年、日本において科学映画の嚆矢となる『Snow Crystals』(東宝文化映画)の指導を行う。1941年、人工雪の研究を基に北大に低温科学研究所が設立されることが決まり、1943年に開所、中谷はその主任研究員となった。 この研究所は当時の情勢から軍事研究もその目的の一環に含まれ、 開所後には軍の要請により、「航空機への着氷防除」「北海道、千島における霧」 の研究がそれぞれ行われた。後者は、飛行場の滑走路に発生する霧の除去が その目的であった。研究成果の実用化を急ぐ軍に対して中谷は「基礎的研究が解決への唯一の捷径」と基礎研究を重視する立場を崩さなかった[1]。1945年、ニセコの着氷観測所を基にして農業物理研究所を発足させ、所長に就任する。しかし、学内から戦争中の軍事研究への関与について批判を受ける。さらに、人工雪結晶の記録映画を再撮影するに当たり、ゼネラル・エレクトリック (GE) 研究所から提供されたフィルムが、GE研究所とアメリカ空軍との間の契約研究費から支出されていたことが問題視されて、低温科学研究所を退職した。1948年には日本映画社の協力により科学映画『霜の華』『大雪山の雪』を完成させ、この時の日映側のスタッフだった吉野馨治、小口禎三らと共にその翌年、中谷研究室プロダクション(岩波映画製作所の前身)を設立。1952年、アメリカ合衆国イリノイ州ウィルメット (Wilmette, Illinois) の 雪氷凍土研究所(SIPRE、現:Cold Regions Research and Engineering Laboratory)の基礎研究員となり渡米。 1954年まで氷の物性の研究に従事し、帰日。1957年、グリーンランド氷冠の研究に着手。以後1960年まで 毎年グリーンランドに行き研究を続ける。1962年、前立腺癌のため東京大学医学部附属病院で死去。享年61
・☆・貴重!『大雪山水系及び洪水の研究』!・☆・
・北海道大学・教授:中谷宇吉郎:著・
・農業物理研究所・1950年・
・B5判・549頁・写真・図版60枚・
篠路・No7923・
□商品詳細 □ ★・①『大雪山水系及び洪水の研究』
・北海道大学・教授:中谷宇吉郎:著
★・本のサイズ等・1950年・549頁+図版60枚・B5判
★・本の詳細・写真図版等多数・
・目次抜粋・
★・①・昭和22年忠別川氾濫の総合研究177P他・図版23枚
★・②・大雪山積雪水量及び流出調査89P-他・図版5枚
★・③・山地流域における降水量と流水150P-他・図版14枚
★・④・洪水時の流水量並びに浮泥量の研究133p-他・図版18枚
・各図版内容・地図2~4色カラー・写真/図
★・本の状態・本文・表紙見返し扉など経年の色変わり汚れ染みあり
・製本傷み補修 所謂-B級品です
・理学博士・農業物理研究所長:中谷宇吉郎著
【大雪山水系及び洪水の研究】農業物理研究所
・大変貴重なものですが、表紙、見返し、本文ともに
・経年の色変わり、汚れ、シミ、傷、スレなど傷みが各所に
・ありますのでB品扱でお考え下さい
★・ですので、ご理解の上お願い致します
★・②『日本のこころ』
・著者:中谷宇吉郎
・本の状態:函汚れ・表紙と本文汚れ少々
・1951年・363頁・¥:330円・B6判
・目次:抜粋
・滅び行く日本国土/六三制を囲って/映画教育について
・科学以前の国/水爆と原爆/雨を降らす話/自然の恵み
・ヂストマ退治の話/偉業二十年/オリエンタル・アートの講演
・吉右衛門と神鳴/露伴先生と神仙道/古代東洋への郷愁
・発行:㈱・文藝春秋新社
★・③『冬の華』続
・著者:中谷宇吉郎
・目次抜粋
・眞夏の日本海/ツーン湖のほとり/北海道の夏
・十勝の朝/伊東雜記/珍らしい偶然の話
・大謀網/民族的記憶の名殘/Sの話
・語呂の論理/鼠の湯治/兎の耳
・地球の圓い話/映畫を作る話
・霜柱と凍上の話/缺航/生活の實驗
・本の状態:函布装・汚れ・表紙と本文汚れ少々
・1940年・412頁・¥:2円80銭・B6判
・発行:甲鳥書林
★・④『百日物語』
・著者:中谷宇吉郎
・本の状態:函汚れ・表紙と本文汚れ少々
・1951年・235頁・¥:190円・B6判
・目次抜粋
・北極の浮島/双手を挙げる/一人の無名作家
・『日本石器時代提要』のこと/月世界旅行ロケット
・低温科学と国鉄/『北越雪譜』の科学/『死者の書』
・寺田先生と銀座/アイクと鳩山さん/惜檪荘
・アアスカの氷河/氷は金属である/ジンギスカン鍋
・寅彦の遺跡/龍河洞/稲の二毛作珈琲の値上り
・空飛ぶ円盤//ジュネーヴの原子力会議
・水爆の平和利用/放射能の害
・ソ連の人工衛星/孔子とアメリカ/誕生日の贈物
・離婚とダイヤモンド/浮輪/ソ連関係の記事
・発行:㈱・文藝春秋社
★・⑤『花水木』・アメリカ物語
・著者:中谷宇吉郎
・本の状態:裸本・表紙と小口本文汚れ大
・1950年・341頁・¥:300円・B6判
・目次:抜粋
・湯川秀樹さんのこと/牧野信顕伯の思い出
・国際雪氷委員会のことなど/アラスカ通信/北極圏内の生活
・砂漠中の塩湖/ソ連の原子爆弾/原爆と科学者/アメリカ日記
・発行:㈱・文藝春秋社
◎・大雪山関連『絵葉書』など追加出品・サービス品・2018.11.10
◎・①・『大雪山の高山植物』
・1970年頃・5枚カラー写真
・発行:北海道自然保護協会
★・②・『冬の華』・第三
・著者:中谷宇吉郎
・目次抜粋
・郭公のおとづれ /・低室だより
・寺田先生の追憶 /・雷究の側面史
・凍上の話 /・荒野の冬 / 小さな究
・南畫を描く話 /・空港 / 滿洲通信
・古寺隨想 /・壁畫摸寫・『雪華圖』の究
・『雪華圖』の究後日譚
・本の状態:表紙汚れ・本文汚れ少々?
・1941年・346頁・¥:2円80銭・B6判
・発行:甲鳥書林
★・③・『農業物理學雑話』
・著者:中谷宇吉郎
・1945年・31頁・¥:?・B6判
・発行:生活社
☆・中谷 宇吉郎・1900年・ - 1962年・日本の物理学者、随筆家。位階は正三位。
勲等は勲一等。学位は理学博士(京都帝国大学・1931年)。 北海道大学理学部教授を北海道帝国大学時代から務め、世界で初となる 人工雪の製作に成功した。☆・生い立ち石川県江沼郡片山津町(現・加賀市)出身。学齢期になると母方の親族に預けられ、大聖寺町(現・加賀市)に転居。 大聖寺町立錦城尋常高等小学校卒業後、旧制小松中学(現・石川県立小松高等学校)で寄宿舎生活を行い卒業、 1922年、第四高等学校を卒業し東京帝国大学理学部物理学科に入学。 寺田寅彦に教えを受け、実験物理学を志す。卒業後は理化学研究所で寺田研究室の助手となった。1927年、藤岡作太郎の長女の綾と結婚。その後、 1928年、イギリスに留学し、キングス・カレッジ・ロンドンにて学んだ。同年には日本に残してきた妻をジフテリアで亡くしている留学後、1930年に北海道帝国大学理学部助教授なる。1931年に京都帝国大学にて理学博士号を受ける。その題は「On the emission of soft X-rays by different elements, with reference to the effect of adsorbed gas(各種元素による長波長X線の發生に就て 特に吸着氣体の影響につき)」。教授となった1932年頃から雪の結晶の研究を始め、1936年3月12日には大学の低温実験室にて人工雪の製作に世界で初めて成功。気象条件と結晶が形成される過程の関係を解明した。他にも凍上や着氷防止の研究など、低温科学に大きな業績を残した。 また前年には再婚している。1938年、肝臓ジストマと診断され武見太郎指示の元、療養する。12月26日、『北海道帝国大学理学部紀要』Ⅱ、2巻1号に、雪の人工結晶について発表。1939年、日本において科学映画の嚆矢となる『Snow Crystals』(東宝文化映画)の指導を行う。1941年、人工雪の研究を基に北大に低温科学研究所が設立されることが決まり、1943年に開所、中谷はその主任研究員となった。 この研究所は当時の情勢から軍事研究もその目的の一環に含まれ、 開所後には軍の要請により、「航空機への着氷防除」「北海道、千島における霧」 の研究がそれぞれ行われた。後者は、飛行場の滑走路に発生する霧の除去が その目的であった。研究成果の実用化を急ぐ軍に対して中谷は「基礎的研究が解決への唯一の捷径」と基礎研究を重視する立場を崩さなかった[1]。1945年、ニセコの着氷観測所を基にして農業物理研究所を発足させ、所長に就任する。しかし、学内から戦争中の軍事研究への関与について批判を受ける。さらに、人工雪結晶の記録映画を再撮影するに当たり、ゼネラル・エレクトリック (GE) 研究所から提供されたフィルムが、GE研究所とアメリカ空軍との間の契約研究費から支出されていたことが問題視されて、低温科学研究所を退職した。1948年には日本映画社の協力により科学映画『霜の華』『大雪山の雪』を完成させ、この時の日映側のスタッフだった吉野馨治、小口禎三らと共にその翌年、中谷研究室プロダクション(岩波映画製作所の前身)を設立。1952年、アメリカ合衆国イリノイ州ウィルメット (Wilmette, Illinois) の 雪氷凍土研究所(SIPRE、現:Cold Regions Research and Engineering Laboratory)の基礎研究員となり渡米。 1954年まで氷の物性の研究に従事し、帰日。1957年、グリーンランド氷冠の研究に着手。以後1960年まで 毎年グリーンランドに行き研究を続ける。1962年、前立腺癌のため東京大学医学部附属病院で死去。享年61
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No.206.002.004
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(2015年 8月 25日 9時 59分 追加)
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