管理番号 | 新品 :55771105 | 発売日 | 2023/12/21 | 定価 | 32,900円 | 型番 | 55771105 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
カテゴリ |
商品詳細 上人は、大正3年3月17日、北海道江差の近く、現在の乙部町元和で生まれました。父親は漁師でした。母親は大変信仰深い方で、その願いで、小学校2年の時、近くの本昭寺浅野本淳師に預けられました。やがて、浅野師より本隆の僧名を授けられ、得度しました。 昭和4年、15歳、上京して、池上本門寺に入りました。修行のかたわら池上学林に学び、やがて立正大学の仏教学部に進みました。当時、本門寺の修行僧は、大学に通えませんでしたので、塔頭の照栄院に移り、大学に通いました。照栄院住職の石川日教上人は、その時、池上本門寺の監督でした。日教上人は、乙部の浅野上人の願いを入れて、田中上人を自分の弟子としました。昭和15年、大学を卒業して、一時、故郷に帰っている時、召集令状を受け、旭川の26連隊に入営しました。間もなく、満州の最前線、二人班に配属され、ここで、幹部候補生に選ばれて、昭和16年9月、仙台の予備士官学校に入学しました。12月8日、対米戦争がはじまりました。17年3月に卒業して、見習士官となると、航空兵に転科を命ぜられ、兵庫県の加古川で訓練のち、シンガポールにあった、第三航空軍司令部勤務となりました。 終戦をシンガポールで迎えました。部下の復員に奔走している時、司令部に要請され、チャンギー刑務所の教誨師となりました。ここで、BC級戦争犯罪人として処刑されようとしていた日本軍の将兵軍属の最期をみとりました。この時、英軍により焼却処分にされそうになった遺書を命懸けで持ち出し、帰国後、遺族に渡すことができました。 昭和28年、師匠の石川日教上人が池上本門寺貫首になり、田中上人は、学園を辞して、池上本門寺の執事となりました。以来、戦争ですっかり伽藍を失った、池上本門寺の復興に取り組むことになりました。現在の本門寺は、様々な伽藍の立ち並ぶ堂々たる大本山ですが、そのどの建物も、田中上人が建設に関係しなかったものは無いといわれます。また、肝心の、布教活動のための組織や運営にも主導的な役割を果たしました。 昭和63年、池上本門寺の第81代貫首に推されました。この時、古例にならい、日淳と改名しました。平成7年には、第48代日蓮宗管長となりました。
ご存じの方には多言ではございますが、その量と質からも、最高の日淳上人全集でございます。大変入手困難でございます。
大事にコレクションしておりましたが、増えすぎたDVD・CD類の整理をしており、この度出品させて頂きました。格安にて出品させて頂きましたので、どなた様かお引取り頂き、お楽しみ頂ければ、誠に幸いです。!かんたん決済。発送詳細発送はおてがる配送にてお送りさせて頂きます(ゆうパック)。注意事項*システム利用料・手数料などは一切頂いておりません。
*お決まりですがノークレーム・ノーリターンにてお願い致します。
*保管品ですので、神経質な方のご入札はご遠慮下さいますよう宜しくお願い致します。コメントそれでは何卒宜しくお願い致します。